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映画 行き止まりの世界に生まれてに見る、ネガティブな経験との向き合い方

父と母は喧嘩ばかりだった。理由は、僕だった。


母が連れてきた男性は母のいない所で僕に暴力を振るってきた。

けれど、そのことを母は知らなかった。


大人になることは嫌だった。

けれど、子どもが生まれて、大人にならざるを得なかった。


ただ、僕が受けてきた子育ては、家庭内暴力に満ちた世界で、 見本となるような家族の在り方を知らないんだ。


父とは喧嘩して、家を出たきりだった。

その後、父は亡くなってしまった。

大嫌いだった父のことを思い返すと、 大切なことをたくさん教えてくれていたんだ。


様々なバックグラウンドを持った人たちが スケートボードパークに集まり、 息苦しい家庭での暮らしを離れて、 仲間との時間を楽しむ。


そんな彼らの生き様を撮影し続けたこの作品には、 少しずつ大人になり、先のことを考えて生きる人と、 先のことを考えることを放棄し、今、この瞬間に生きる人が描かれていました。


何がこの差を生んでしまったのか。

それぞれが感じていることを感じたまま話す仲間たちの言葉には 私たちが経験する様々なこととどう向き合うかを考えさせてくれます。


今回は、そんな映画「行き止まりの世界に生まれて」から、 ネガティブ経験との向き合い方を考えてみましょう。


1.映画 行き止まりの世界に生まれて 作品の見どころは?


本作は、自身が幼いころに受けてきた理不尽な暴力に対して疑問をぬぐえなかった1人の青年が監督となり、自身の町で問題になっていることにスポットをあてて撮影した作品です。


家族や日常に不満を抱き、鬱屈した気持ちをため込んだ思いを解放する場として存在していたスケートボード。


そんなスケートボードに触れながら、大人になっていく仲間たちの姿を描いた本作。


黒人で、幼いころは父に厳しく育てられ不満をため込んでいたキアー。


家庭内暴力が当たり前の家庭に生まれ、16歳で家出。 酒やマリファナに手を出しながらも、

子が生まれることをきっかけに、生きなおしを図ったザック。


そんな彼らを撮影し、自身の家庭内暴力の経験とも向き合ったビン。


スケートボードに何度も救われながら、 前向きに生きようとする彼らのスケートボードを滑るシーンが多く描かれた本作。